いつもブランドを応援していただき、ありがとうございます。 enrioです。
POPUPや展示会に立っていると、お客様からよく「なんで川口でレザーブランドなんですか?」と聞かれます。
「地元の川口を愛しているから」とか、そういうおしゃれで綺麗事な理由を期待されることが多いのですが(笑)、ぶっちゃけた回答を言います。
「そこに、うちの会社(工房)があるからです。」
身も蓋もなくて申し訳ないのですが、これが一番の事実です。でも、じゃあ「なんでそもそも川口に会社があるのか?」というと、そこにはうちの先代たちが必死に革の仕事を守ろうとした、100年近く続くリアルな歴史のバトンがあるんです。今回は、 enrioの母体である「有限会社河内」の歩みについて少しお話しさせてください。
浅草橋の「喫煙具職人」から始まったルーツ
すべての始まりは、昭和2年(1927年)。私の曽祖父である河内寅吉が、東京の浅草橋で革の喫煙具を作る職人としてスタートしたのが原点です。
喫煙具と言っても、今のようなものではありません。当時の最先端のおしゃれでもあった、粋なタバコケースやキセル入れ、葉巻の葉っぱを入れるポーチなど、時代に寄り添う様々な物を一つひとつ手作業で仕立てていたそうです。
そこから順風満帆に……とはいかず、激動の時代。戦争の影響で、一度は埼玉県の熊谷市に疎開せざるを得なくなりました。
「浅草に近くないと、仕事にならない」

大変だったのは戦争が終わった後です。 当時の先輩たちは「やっぱりもう一度、革の商売をガッツリ立て直したい」と考えました。
でも、当時は今みたいにネットも携帯もない時代。お客様とは「対面」で会って、顔を合わせて仕事をしなければ話にならない時代です。革の問屋やお客様が集まる聖地「浅草」の近くにいなければ、情報も入らないし、仕事になりません。
「熊谷のままでは不便すぎる。なんとしても浅草の近くへ戻らなければ」
そうやって、東京のすぐ外側で、浅草にアクセスしやすく、ものづくりができる場所を求めて、ギリギリ埼玉の入り口である「川口」に行き着いた。これが、私たちがこの街にいる本当の歴史です。(本当は土地代など金銭的な理由もあったと思います(笑))
職人から、メーカーへ

川口へ移ってからは、私の祖父も仕事に加わり、時代に合わせて一人の「職人」から「製造メーカー」へと姿を変えていきました。
たくさんの問屋さまと信頼を重ねながら、ブランド財布や名刺入れといった、今に続くビジネス革小物を広く手掛けるようになり、厳しいプロの要求に応える「確かな技術力」がここで磨き上げられていきました。
歴史を受け継ぎ、未来へつなぐ
つまり、先代たちが「革の世界で生きていくために、必死の思いで根を張った場所」が、この川口なんです。
東京のおしゃれな最先端の街に新しくスタジオを構えてブランドを始めるのも、今っぽくてカッコいいかもしれません。
でも自分には、曾祖父の代から必死に守り、この川口の地で長年培ってきた「本物の技術」と「職人チーム」という最高のリソースがある。
だったら、海外の原皮に頼ることなく、同じ埼玉の農家さんが大切に育てた『彩の国黒豚』のピッグスキンを使って、この歴史ある川口の工房から、世界に通用するモダンなプロダクトを自分たちの手で仕立てて発信する。それって最高に面白い挑戦じゃん?って思うんです。
「たまたま会社がここにあったから」始まったenrioですが、浅草橋から始まった100年の歴史のバトンが、今こうしてカタチを変えて繋がっています。
歴史にあぐらをかくつもりはサラサラないけれど、この泥臭いものづくりのDNAだけはしっかり引き継いで、今日も川口の工房から、皆さんに「本当に良い」と思えるプロダクトを届けていきます。

